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不思議な歌

ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラ――

ただこれだけの、五・七・五調の詞だ。
意味はわからない。地域の長老も、どんな偉い学者さんでも、確信を持ってこの詞の意味を説明できる人は誰ひとりとしていない。いつの時代から、誰からどのようにして伝わったのかもわからない。
人々は意味もわからずにこの歌にのせて踊りを踊っている。まったくもって不可思議な歌である。

ヘブライ語の歌である、との説を唱えている人もいる。
日本最古の民謡である、と言っている人もいる。
「成せばなる 成さねば……」と、かの上杉鷹山公は言ったそうだがそういう意味だという人もいる。五十歩譲って仮にそうだとしよう。だがそれは上杉の方がパクったとしか思えない。「ナニャトヤラ」はもっと古い時代から存在したと“思われる”からだ。
何もかもが推測の域を出ないが、それが「ナニャトヤラ」なのだ。四、五百年前のことならどこかになんらかの形で記録が残っていてもおかしくはないがそれがないとくる。
僕が住んでいるまさにこの場所を含め、北東北一帯は縄文時代からすでに人が住んでいたということがあきらかになっている。縄文人がどんな言葉を話していたかは知る術もないが、もしかしたらそんな時代からこの歌が歌われていた、という説を否定できる人もいないはずだ。

とまぁ、あんまり深く考えると頭が禿げてしまうし、別に郷土史研究家になるつもりはないからここらへんで終りにして……。
自暴自棄(ヤケクソ)の歌だという人がいる。「どうにでもなれ! どうなってもいいや、もう!」みたいな感じだが僕はその説を支持している。
それこそ根拠のない話だがリズムとか語呂からなんとなくそう感じるだけのことである。貧しく苦しい生活を強いられてきたこの地域の人々の哀歌。こんな歌にあわせて踊りを踊って憂さを晴らす−−。
第六感のようなものだがここに生まれ、ここに生きてきた人間ならばそう思っている人は少なくないはずだ。ただなんとなくね。

この歌、「ナニャトヤラ……」だけで終わるなら不思議だと感じるだけで終わってしまうがそのあとがじつにおもしろい。
おそらく自然発生的に生まれた詞や、自棄になった民衆が日常から滲み出るエピソードをおもしろおかしく、たまにエッチな詞を作っては楽しんだと思われる詞もいくつかある。
――ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラ
――今夜ばかり 盆の十六日 今夜ばかり
――ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラ
――踊ってけろ ここは立ち見の場所じゃない
――ナニャトヤラ ナニャトナサレノ ナニャトヤラ
――南瓜もぐ 娘貸さねば 南瓜もぐ 
と、こんな具合に繰り返されるのだが「南瓜もぐ……」は娘を俺に貸してくれなければ悪戯するぞ、と歌っているのである。
小さいころは「いったいどこから誰が南瓜をもぎにくるのだろう」と思ったものだ。きっと河童か何かが畑にやってきて悪さをするのだろうと思っていたものだが僕もいつしか大人になったものだ。

五・七・五の歌にあわせるだけだから太鼓のリズムは実にシンプル。
上手下手は別として三回ほどの練習で体が覚えてしまった。
僕にとってデビュー選となる本番は来週金曜日。祭りは参加するのが楽しい。

――踊ってけろ どこのどなたも 踊ってけろ
――太鼓打ち しめて踊ってけろ 太鼓打ち
――萩刈りに 秋は山々 萩刈りに
――子が踊る 三十過ぎたら 子が踊る
――孫踊る 四十過ぎたら 孫踊る
――渡るまで 夜明けガラスが 渡るまで
――盆が来た どこの村にも 盆が来た
――藤の花 咲いてからまる 藤の花
………… 

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