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功績

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僕たちが俗に「天狗(てんぐ)」と呼んでいるのは「猿田彦命(さるたひこのみこと)」という神様のことだ。

猿田彦は上背が二メートルほどもあり、赤ら顔で鼻がとてつもなく大きいのだという。
彼の役目は道案内。天から降りてくる不案内な神を、目的の地まで迷わぬように案内することが仕事の中のひとつだった。わかりやすく説明すればだ。
そのいわれからお祭りでは行列の先頭に立ち、後ろに続く者の案内をするようになった。
意外と知られていないことではないだろうか。

お祭りというのはいいものだ。
昨日はこの時期にしてはかなり暑くなったが、その暑さを吹き飛ばすがごとく、人々のエネルギーが爆発した。車の往来が遮断された路上で、虎や馬などの郷土芸能が、小気味よい囃子にのせてうねり、乱舞した。もちろん我らが神楽も。大きな山車がその後に続く。

山車祭りである。大きなお祭りではないが山車はかなり大きい。町の作りが小さいために電線や標識にも引っかかる。町を通過するには四箇所ある狭い交差点で直角に舵をとる必要もある。一筋縄にはいかない。
全部で六台。そこまで大きくしなくてもいいのではないかとも思うのだが、それがこの町のお祭り。各団体の意地と矜持のぶつかりあいみたいなものなのだ。

この町の君成田(みきなりた)という集落に永井久右衛門という人がいた。
西暦千八百年代はじめのことだからいまから約二百年ほど前のことになる。
彼は幼いころから非常に手先が器用な人だった。殊に彫物の才能に長け、その能力をいかんなく発揮した。八歳のときに立派な地神の像を彫って周囲の大人たちを驚かせたという逸話もある。
評判が高くなり、やがて藩の目に留まって御用彫刻師となる。
当時この町は八戸藩領。代官所が置かれて八戸藩によって治められていた。そんな時代だ。
だが彼は宮仕えがいやになり、藩の許可を得た上で故郷に帰った。その後は自由気ままに創作に打ち込んだが、一八三六年、若干三十四歳の若さでこの世を去っている。

永井は「猿田彦命」の木像を遺した。
それは大きくて立派な木像で、七尺を超えたという“実物の”猿田彦の姿を“忠実に”再現した。
長きに渡って厳重に保管され、いまでは年一回、秋祭りの行列の先導役として我々の前に姿を現す。

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