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「ばい」の語源

 おまえには“びゃーっこかき”をたのむ、と言われた。
「かき」は「欠き」で、“折る”とか“取り除く”を意味することは容易に予測できたが、「びゃーっこ」とは、はて・・・・・・。

 この町の訛りの大きな特徴なのだが、「ai」の発音が「○ゃー」に変化することがよくある。一例をあげると、「な(無)い」は「にゃー」になり、「さ(咲)いた」は「さゃーだ」(微妙な発音が文字では伝えにくいのだけれど)、「かいな(腕)」が「きゃーな」、町の名前である「○るまい」が「○るみゃー」になることさえある、といった具合。「ai」ではないものの東北弁を象徴するような言い方である「○○だべや」は「○○だびゃー」となり、「このまえ(前)」は「このみゃー」になって、「びゃー」とか「みゃー」とかいい加減にしろい!みたいな感じになって聞き慣れない人にとってはまるで猫の会話みたいに思うかもしれないのである。
「びゃーっこ」は「ばいっこ」が語源なのだろうと思った。「っこ」は親しみや慈しむ感情を込めるとき、または程度の小さいことや愛嬌のあるものを呼称するときに使う。「お茶っこ」「酒っこ」「ビールっこ」「どじょっこ、ふなっこ」(「どじょっこ」は「どんじょっこ」と言うことが多いけれど)がその例。そこまでの理解は正しいと思うのだけれど、じゃあ「ばいっこ」の「ばい」ってなに?

 先週土曜日、僕はタバコ畑の中にいた。前夜から降りはじめた雨は結局その日も終日やむことはなかった。5年ほどもまえに買い求めた雨合羽は時間の経過とともに「浸透性」が増し、みえざる穴がどこかにあいている長靴とあいまって全身がずぶ濡れになって冷えきった。
 このまえ、とある高原にある広大なトウモロコシ畑に行った。夏真っ盛りの7月下旬のことだった。そのときも雨が降っていた。かなり強い雨だった。遠くからせまってくる雨の波が白っぽいカーテンのようになってみえる。白昼にみるオーロラか虫の大群のようだと思った。雨の波をみたのは遠い昔に体験したことがあるような気がするけれど、それがいつだったかはとうに忘れている。もしかしたらはじめてみる光景なのかも。
 普段は変化のない単調な日々を過ごし、つまらない書類作成や、僕がもっとも不得意とするところの折衝ごとに奔走することもある。山奥の小さな町で一人、怠惰な生活を送り続けることにどんな意味があるのか、僕はいまだによくわからない。そんな面倒なことを考えてしまうこともあるのだけれど、いくつになっても、どこにいても、新たな発見や未知の世界を垣間見る機会は用意されている。それが不意におとずれたトウモロコシ畑での雨の波や、畑の中で巨大な葉っぱが雨に打たれる光景であったりする。知ったつもりでいても、知らない世界やことがらはまだまだあるものだ。「ばい」の語源もそのひとつ。

「びゃーっこ」とは脇芽のことであり、僕へのミッションは大きな葉っぱの付け根から生えている不要な脇芽を探しあて、それを一つひとつ取り除くというものだった。高齢化により労働力の確保もままならないらしく、僕みたいな「若衆」にも声がかかった。死活問題らしい。小さく細いものは手でつまんでポキリと、太くて頑丈なものはハサミを使ってザックリと。日がな一日、僕は脇目も振らずに脇芽を欠いたのだった。
 タバコの葉っぱはまもなく収穫される。皮肉にも、僕が紫煙をくゆらす嗜みを断ってから一年が経つ。

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