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変わらないもの

たった数十年でここまで世の中が変ってしまうものなのだろうかと思うことがよくある。

IT。
「マイコン」と呼ばれるものをはじめて見たのは高校生のときだった。ブラウン管のモニターにキーボードがつながれているスタイルはいまとさほど変らなかったけれど、できることといえばむずかしいプログラムを組んで簡単な計算をする程度のもだった(もちろん知識があればもっとすごいことができただろうけど)。
「これなら電卓で計算したほうがずっと早いじゃないか」と思ったものだった。
いまではものすごいコンピューターをポケットに入れて持ち歩くようになり、手紙も黒電話も、銀行の建物もレコード屋も、会議や集いも、会社で働く事務員さんまで要らなくなった。
これからはいったい何が必要なくなるんだろうと思う。デートも飲み会もしなくてよくなる? そんな世の中なら生きていなくていい。それともあなたの存在そのものが必要なくなるかも……。先のことはわからないものだ。

車。
あと少しすれば燃料がいらない自動車が出現するに違いないと僕は思っている。もしくは空飛ぶ車。それは飛行機じゃないかと無粋なことはいうもんじゃない。地上に少し浮いてホバークラフトのような原理で飛ぶ「車」だ。「車って車輪が付いてるから車っていうんじゃないの?」みたいなことはどうでもいい。マイケル・J・フォックスが地上に浮くスケボーに乗って遊んでいたではないか。そんな感じだ。
「どんな理屈で走る(飛ぶ)のだ」ってことは僕に聞かないでくれ。わかるわけがないじゃないか。おそらくどこかのだれかがなにかを発見する。世の中というものはそんなものだ。そうしてやがて燃料屋が必要なくなる。

電化製品。
その中でも僕がもっとも変ったと思うものはテレビだ。こんなに大きくて薄いテレビが出現するとは思わなかった。僕が所有するテレビは三十二型。いまや小さいほうの部類に属してしまっている。
ひとむかし前のテレビは奥行が五十センチも六十センチもあって、部屋のスペースを無駄に食ってしまったものだがいまではそれも解消された。
これからは壁に貼るテレビや窓がテレビを兼ねるとか、突拍子もないものが登場するに違いない。
メガネをかけただけで映像が見られるという技術はどこかの独り善がりな企業がもう開発している。そんなことを思うとこの先はテレビは画面に向かって観るものという概念そのものがなくなってしまうかもしれない。

生き物がすることだから、より便利で快適なものを求めて変っていくことは当然のことだろうけれど、劇的に変っていく世の中にあっても絶対に変って欲しくないものがいくつかある。

僕にとってはこんなものもその中のひとつだ。

盆踊りポスター10s.jpg

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秘すれば花なり

赤、白、黄、ピンク、オレンジ、紫。

チューリップというのはこの六色が基調となる。
基本は六色だが、例えば赤ならワインレッドのような濃いものから赤とピンクの中間色のもの、蛍光色のように鮮やかな赤もある。ピンクならオレンジに近いサーモンピンクのような色、濃い紫のものはほぼ黒に近い花をつけるものもある。その色は僕の可能性のように無限に広がり、緑に近い花もあって、ないのは青だけだといっていい。

チューリップは長い歴史の中で八千種類以上の品種が作られてきたといわれている。
人が楽しむために栽培をはじめたのはおそらく五百年以上も前だ。オスマン帝国(十三世紀?〜十九世紀?)の権力者たちが、その優雅な生活の中で、山野に自生していた原種のチューリップを宮廷内に持ち込んで好んで植えたとされている。つまり金持ちの道楽が今のチューリップのはじまりというわけだ。オスマン帝国とは親日家が多いといわれる今のトルコ共和国にあたる。そう、このあいだどこかの知事がオリンピックがどうのこうのとのたまってきて問題になったところ、庄野真代さんにいわせれば飛んで行きたい国だ。

オスマン帝国からいち早くチューリップが伝わったのはヨーロッパ。その中でもオランダ人が熱心に研究を重ねてチューリップを作り続け、今に至るというわけだ。オランダが発祥だと思っている人が多いと思うが、チューリップには実はこんな歴史背景があったのである。
日本にはじめてチューリップが伝わったのは一八六○年ごろ。その後しばらくして本格的な栽培が新潟ではじまり、富山ではじまり、現在では国内のチューリップのほとんどがこの二県で生産されている。

現在でも約千種類のチューリップが存在するといわれているが、日本で見られるのはせいぜい百数十種。はっきりいってあまりにも種類が多すぎて、チューリップ界はなにがなんだかわからないような状態になっている。世界中どこを探しても全種類のチューリップを把握している人はだれもいないのではと思うことさえある。おそらく名前さえついていないチューリップ、忘れ去られたチューリップもたくさんある。僕の「研究成果」の中にも「約」とか「数十」とか抽象的な表現が多いのもそのためだ。わからないからこそ魅惑的なのかもしれない。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず――――。
花も女性も秘めている部分があるうちが美しいのだ。

ところでなんでおまえはそんなにチューリップにくわしいのかって?
そりゃぁ、チューリップを売りにしている町に住んでいるのだもの、住民としてこれぐらい覚えておくのは当然のことではないか。この町の人はみんなこれぐらいのことは知っているぞ。知らなければそれは隠れ町民だね。球根踏みでもさせればそれはすぐにわかる。チューリップがなければこの町に来てくれる人はだれもいないのだぞ。チューリップさまさま、チューリップに足を向けて眠れる人はだれもいないのである。
今が見ごろかねぇ、僕がお気に入りのファンシーフリルス。これは花びらの縁にちょうど女性の下着のようなギザギザのフリルがついている。なかなか見ることのないチューリップだ。レッドエンペラーにピンクインプレッション、サーモンインプレッションってのもある。風車が回っていて四十種類、十五万本…………。
いやこれ以上は語らない。ゴールデンウィークが名残惜しいときでもある。あとは自分で実際に見に来なさい。

秘すれば花、なのだ。



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ちゃちゃちゃ

なんと、雪が降った。

予報がそうだったからある程度心の準備はできていたものの、滅多に当たらない天気予報はこんなときに限ってズバリと当たる。一面雪景色というほどのものではなかったけれど、湿った雪がうっすらとフロントガラスに積もっていた。山は真っ白だ。

あれはいまから二十数年前。僕がまだ二十歳そこそこの麗しき好(?)青年だったころのことだ。ゴールデンウィークがはじまって実家に帰るため、僕は仙台から新幹線に乗り込んだ。当時つきあっていた彼女が盛岡に住んでいたものだから、というのは真っ赤な嘘で、盛岡にいた友人と一杯飲もうということになって盛岡の街に降りたったのだった(こんなところで見栄をはってどうするのだ)。

街は一面の雪景色だった。
僕はいまでも盛岡の街は詳しくないのだけれど、不案内なりに一人ぶらぶらと街を歩きはじめた。『十四番目の月』という店がむかしあって(いまもあるのかねぇ。いまじゃ恥ずかしくて入れないけど)、一度そこでお酒を飲んだことを覚えていた。なんとなくそのビルの方角に歩いて行ったような気がする。
繁華街を抜け、城跡に出た。ちょうど桜が満開で、ピンク色の花が鮮やかに咲いていた。枝という枝には重く湿った雪が十センチほども積もり、ピンクの綿あめに白い綿あめがはりついているようだった。重みでしだれ桜のようになっていた光景はいまでも忘れない。

こんな時期に雪が降ったのを見たのはそれ以来で、僕の短い人生経験の中でもっとも遅い雪だ。年配の人でさえこの時期の雪は記憶にないらしい。
「じぇじぇじぇ」
この地域では「ちゃ」がそれにあたる。

「ちゃちゃちゃ、こっただ時期ね雪ぁ降った」



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嘘と本当

なんだか様子がおかしいとは感じていた。

待ちこがれていた桜がやっと開きはじめたかと思ったが、あの絢爛豪華な姿にはなかなかなってくれない。
明け方の気温が二度か三度ととんでもなく寒い日が続いていて、僕の「オオイヌノフグリ」も小さく縮こまっているのだが、きっとこの寒さのせいで桜も咲けないでいるのだろうと思っていた。
「ブチッ……。ブ、ブ、ブ、ブチッ。ブッ、ブチッ……」と「あのよろし」みたいな辛気臭い咲き方しかしてくれていない。桜というのは「バババババババ、ジャーン!」と咲くからこそ人の心を惹きつけるのであって、その豪快さがなければその魅力は半減どころかゼロ以下になってしまうのである。

「ウソ」という鳥が蕾を食べてしまったことが原因らしい。
岩手県内はいまこの話題で持ちきりである。テレビ局がそのことを報道したものだから「えっ、ウソ」とか「『マジ』っていう鳥もいるの?」みたいな、思わず額から簾が下りてくるようなジョークを飛ばす人であふれかえっているのである。
かくいう僕もその鳥の存在をはじめて知ったわけで、「なるほど聞くからに悪そうな名前の鳥だ」と思いながら心の中でクックッとほくそ笑んでいるのだった。

テレビニュースでは「食害」だと言った。
桜の蕾を食べられてしまうことでいったいだれが害を被るのかと最初は思ったが、よく考えればその被害は計り知れないことに気づく。観光、飲食、運輸……あらゆる業界にその被害は波及していき、ひいては経済全体はおろか県民の士気にまで影響を及ぼしてしまうのである。僕みたいに桜を心待ちにしていた一個人さえ、その純粋な心に深い深い傷を負ってしまう結果となる。

つくづく悪いやつである。
じつに美しくて愛くるしい姿をしてはいるようだがその外見にだまされてはいけない。容姿が美しい者ほど腹黒く、なにを考えているのかわからないものである。「カモ」にされたり「サギ」にあったりもする。油断すると「カッコウ」の餌食にされてしまうのである。
行政はなにをやっている。このまま手をこまねいているのか。こんなことを繰り返していたらそのうち総県民一揆にでも発展しかねない。
かすみ網でもなんでも使ってすぐに駆除してしまえ! なんなら僕が猟友会にたのんでやってもいい。猟友会には知り合いがいるからズドンと散弾銃で退治してもらう。奪った命を粗末にすることはもちろんない。焼き鳥にしてありがたくいただくのだ。野鳥というのはたいそうおいしいものだというではないか。

ここでふと思う。
蕾を食べてしまったのは本当に「ウソ」なのか。県内にどれだけ桜の木があるのかわからないが、大量発生したわけでもなければ見たことさえない小さな野鳥が、果たしてあの膨大な数の蕾をあそこまできれいについばんでしまえるものなのか。五十歩譲ってそうだとしよう。だがいったいだれがそれを確認したのか。そんな暇な人がいるのか。年の瀬の歌合戦に双眼鏡を持って颯爽と登場するあの人たちにたのんだのか。
ウソが食べてしまったというのは本当はウソではないのか。ウソが桜を食べてしまったとマスコミがウソを言っているのではないか。そんな疑問にぶつかるのである。

ウソが桜を食べたというウソのような本当の話は本当はウソか。ウソが桜を食べたという本当のようなウソはじつは本当なのか…………。 
桜のことなどもうどうでもよくなってきたのである。



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