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朝市はエンターテイメント

 早朝三時半、外はまだ暗かった。
 毎、日曜に八戸市の館鼻漁港というところで開かれる朝市は、日の出とともに始まるということらしい。ずいぶん混みあうと聞いていたのでできるだけ早く家を出ようと思案する。
 車を飛ばして約四十分。着くころには明るくなっているはずだ。
 道中、館鼻の“鼻”は、なぜ花ではなくて鼻なのだろうと考えていた。そういえば花火を観にきたときも同じことを思った記憶がある。

 朝日が昇る時刻に漁港に来たのは久しぶりで、なんだか懐かしいような思いがした。
 海が凪いでいる。沖合には本物の太陽とニセモノの太陽が上下に並び、意地悪そうな顔をしたカモメがクワークワーと港内を飛んでいた。
 係留されているいくつもの漁船は、すでに今日の漁を終え、また明日に備えて体を休めているのだろう。船にはパンチパーマにねじり鉢巻をした、仲のいい兄弟が乗っていたのだ。きっと……。
 塩釜、七ヶ浜、閖上……若かりし頃の僕の遊び場だった。懐かしく思うのはそのせいだ。流されてしまった小さな漁港はいま、どんな姿に変わっているんだろう。

「市場」と呼ばれるものは大きくなればなるほど「ワクワク度」が増すもので、アメ横みたいなところは僕にとっては聖地に匹敵する。一度、韓国の南大門市場というところに行ったことがあるが、あの活気みなぎる雰囲気はいまでも忘れられない。
 人間にとって購買欲というのは食欲・性欲・睡眠欲の次にくる四つ目の欲みたいなもので、物を買うという行為は金額の多少にかかわらず万人を幸福に導く。
 長く続く貧困生活によって、お金を使うことに極端に消極的になっている僕であるけれど、予算を二千円と決めて敷地内に張られた数百ものテントをのぞいて歩く。
 なんとなく体が冷えていたから「なにか温かいものでも」と豚汁のような湯気の立つ鍋に目が行ったが、おいしそうなものはまだほかにもありそうだ、と思い直して奥へ奥へと進む。
 野菜、果物、キノコ、魚、パン、うどんにラーメン、惣菜、豆腐、工芸品、ウーパールーパー(!)……とにかくなんでもあって見ているだけで楽しい。これぞ市場の醍醐味! エンターテイメントだ。
 蜂の子を売っている人がいる。なにを隠そう、僕はついせんだってスズメバチの子を生きたまま食べたのだ。ウニウニ動いているものをポイと。ミルクみたいな味がした。
 マグロの頭千円。目玉も付いているし、カマ焼きにしたら……とつい食指が動いたけれどどう考えたってあんなデカイものを買うなんて現実的じゃない。
 トッポギ。ああ、韓国に行ったときに食べたあのキムチ味の白玉みたいなやつだ。

 おいしそうなナシが目にとまる。
 いろんな店があると相性のいい店というのがあるもので、果物を売っているなんの変哲もないその店が、僕にとってはそうだったナッシー。
 半切りの木箱に納められた洋ナシ。一個五十円だという。ピノキオが皮や芯まで食べてしまった、黄金色にかがやくおいしそうなナシに見えた。秋だなあ、と思ったナッシー。
「これ五個ください」
 女性店主に言って袋に詰めてもらった。
「まだ少し早いからこれぐらいの色になるまで置いてから食べてナッシー」と言ってひとつ余計に入れてくれた。となりにあった和ナシも三つ入れてくれと頼んだ。しめて四百円。
 コロッケを歩きながらかじり、八戸の食材を使って煮込んだというブイヤベースを一杯飲んだ。

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秋茄子は僕に食わせろ

「秋茄子は嫁に食わすな」の意味には、ナスには体を冷やす作用があるから嫁に食べさせるのは好ましくない、みたいな説もあるらしい。
 秋に育つナスは太く長く、立派においしく育つから、それに夢中になった嫁が旦那の“ナス”をかまわなくなってしまったら困るから、みたいな話もどこかで聞いたことがあるけれど、それはスポーツ新聞に載っているような通俗っぽいエロ話に過ぎなかったのだ。
 僕は一時期そっちの“説”を本気で信じていたことがあるのだから相当にお目出たいヤツである。仮に後者が真実だとしたらダイコンはどうなる。ナスよりもずっと太くて大きいではないか。「三尺キュウリ」というのらしいが、このあいだ長いながいキュウリをいただいた。三尺もあっては(実際は三尺もないのだけれど)どんな男だってかなわない。ユウガオはどうだ。かんぴょうとして加工されたものしか見たことがないかもしれないが、原型を見たらびっくりするぞ。あれじゃ馬だって後ずさりする。ゴーヤはどうだ。イボイボがあって……コレッ! それぐらいにしとけ。

 たとえば窓のない暗い部屋で一人、仕事をしているような息苦しさを覚えた。ここを脱出しなければならないと考えた。
 月面着陸したのち、何者かの手によって酸素マスクをはずされてしまったら、きっとこんな苦しさをじわじわと感じるだろうと思った。
 実際は周囲に人もいて、僕もその中にたしかにいる。けれども僕は地下鉄の網棚に寝そべって新聞でも読んでいるゴーストみたいなものだ。人畜無害だけれど消えてしまったからといってだれもなにも感じない。僕に限らず人間っていうのはみんなそんな存在なのだと思う。
 最近転職して環境が変わり、そんなことを思うことが増えた。僕だって人並みにストレスなんてものを感じることがあるのだ。もしかしたら禁煙を続けているせいなのかもしれない。二週間経過。イエーイ♪
 僕はこう見えても(見えないだろうけれど)、寡黙なようでいてとてもおしゃべりだ。ゴーストと会話をする人などいるはずもなく、禁煙の唯一の弊害も重なって「話す」という行為が極端に減った。それがストレスの要因であることは自分でもわかっている。
 脱出決行だ。このままここに居続けたら脳みそがチーズになってしまう。

 請求書にはんこをもらう用事が一件、そのあとに打ち合わせが一件。アポイントメントも取りつけていた。
 午後の三時半。決して仕事をサボったわけではなく、“業務上の脱出”である。
 転職してからというもの、老若の違いはあるけれど女性を相手にする機会が増えた。今日も麗しき女性が相手である。
 おしゃべり癖炸裂。
 一軒目でコーヒーをいただいて一時間以上情報交換し、そのあとの打ち合わせも四十分ほどかかった。会話に飢えていた僕は結局二時間近くもべらべらとしゃべり続けたことになる。
 それは必要なおしゃべりだったし、そうでないものもあったかもしれないけれど、お互いに無駄なものではなかったはずだ。無駄だと思えることからいいアイディアが生まれることは往々にしてある。
「スッキリ」した僕は、明日また「月面」に帰ることになる。

 はんこをもらいにいった人が野菜を持たせてくれた。
 白いゴーヤと三尺キュウリ、大きくて立派な丸ナスだった。丸ナスはニンニク醤油で食べるとおいしいということだった。
「秋茄子は……」がふと脳奥を過ぎり、その一瞬、嫁がナスを持ってにっこり笑う絵が心のキャンバスに描かれてはすぐに消えた。
 でもこれは丸いから……。
 “あの説”はやっぱり嘘だったのだと確信する。

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訣別

 僕の心と身体の中でいま、劇的な変化が起きている。
 お盆の中日、十五日の朝の一服を最後にはじめた禁煙が、いまだに続いているのだ。今日でちょうど一週間ということになる。
“なんとなく”強い信念のようなものがあったことは事実だけれど、それは突然“なんとなく”はじまり、いまだに“なんとなく”続いている。しかも、いわゆる禁断症状みたいなものがほとんど表れていない――まったくないというと嘘になるけれど――のだから自分でも驚く。
 
 さすがに体調はいい。
 直接的なきっかけになったものの本によれば、煙草は連鎖性の強い「麻薬」なのだそうで、麻薬を身体に取り入れていないのだから体調がいいのも当然といえば当然。「一本」が命取りになる。
 過去に数度、禁煙を試したことはある。ただそのときは、禁煙に対する知識もなく、「絶対にやめてやる」という精神力だけが先行する「ド根性禁煙」みたいなものだった。これが悪いらしい。
 ニコチンが切れたとき、煙草を吸いたいと思うのは身体の方ではなく頭の方で、つまり「ニコチン切れ」が身体にもたらす苦痛はさほどのものではなく、頭の方の「洗脳」を解いてやらないと、「ド根性」だけではカエルでもなかなか禁煙はむずかしい、ということらしい。
 たまたま出会った古本だったけれど、僕の喫煙に対する「洗脳」は見事に解かれた。
 過去にはひどい禁断症状に悩まされ、いままで続けられたのは長くて三ヶ月ぐらい。以降、吸う、やめるを繰り返し、僕の喫煙暦は三十年を超えることになる(おい、計算があわないぞ^^;)。
 その間、煙草の値段(実際は税率)は倍以上に跳ね上がって生活を圧迫する。社会的には「煙草はカッコいい」みたいな風潮から「みっともない」、「不健康」、「臭そう」、「お金のムダ」、「迷惑」みたいな流れに完全に変わった。
 潮時だと思う。僕みたいなやつに紫煙をくゆらす嗜みなど、そもそも不適切なのだ。

 煙草をやめれば三ヶ月に一台ずつテレビが買える、といわれたことがある。テレビを何台も持っている輩のいうことだった。
 たしかにそうだと思った。僕はいままで月に二万円近い金をただただ煙にして吐き出してきたのだ。
 これからの僕には三ヶ月ごとにテレビを買い、三ヶ月ごとにiPadを手にし、いままでほとんど家から“デズニ”いたのに三ヶ月ごとに“デズニーランド”に行くような夢のような生活が待っている。
 捕らぬカエルの皮を数えるとき、僕の心は晴々とし、夢いっぱいで希望に満ちみちてくるのである。とともにいままでなんて無駄なことをしてきたのかと思えるのはやっぱり「洗脳」が解けたからだとも思う。
「煙草のない人生っていうのもこれからいいんじゃない?」いつもいく理髪店のオーナーにもいわれた。
 そうだ。そういう人生もいいと思う。
 ただ、タバコを育てて生計を立てている友人には、申し訳ないような気が少しする。

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BASEBALL KID

 野球大会にでてくれないか、と神楽仲間の若者にいわれたのは一昨日のことだった。
 今月の二十四日に町内の地域対抗野球大会があって、四十歳代のメンバーが見つからないのだと、困り果てた顔でいってきた。
 この若者は地域の“体育振興会”みたいなものの役員をしているのだが、なにかにつけて「どうしよう、どうしよう」と思い悩む、胃腸が弱い“山根くん”のようなタイプの人間なのである。
〈なんだい、「人が見つからないから僕でもかまわない」みたいな、まるでそんないい方じゃないか。こういうときは嘘八百を並べてでもいいから「優秀な選手はたくさんいるけど、どうしても折爪さんの力が必要なんです」とでもいって持ち上げたうえでたのんだらどうだ。それが世渡りというものではないのか〉
 と思ったけれど、彼がまた悩みそうなので口にするのはやめた。
 告白した女性に交際を断られたのち、別の女性に対して「じゃあ、あなたでもいいから付き合って」といったらビンタのひとつでも飛んできて鼻血ドピュッか差し歯になっても文句はいえないのである。
 とはいってもこれは男同士の遊びの話である。暇をもてあまし、時間を埋めることによってしか孤独感を紛らわす術を知らない僕は、「おお! 楽しそうだ」とふたつ返事で彼の“要求”を飲んだのであった。地域のためでもある。

 だが野球に関してはブスの素人である。いや、ズブの素人である。
 運動神経はいいほうだと自負しているのだが、野球らしきことをしたのは小学生のときにソフトボールの大会にでたことと、中学校の球技大会で野球をしたことと、学生みたいなことをやっていたときに野球同好会に所属していて、そのとき阪神タイガース好きの人間がいたものだからみんなで縦縞のユニフォームをそろえたことと、朝野球に誘われてたまにゲームをしていたぐらいである。なにをいいたいのかわかると思うが、いままで野球は結構やっていたりするのである。
 話を聞けば僕の地域チームの実績は衰退の一途をたどり、過去には上位に食い込んでいたこともあったということだが、三つに分かれているブロックのうち、いまでは最下位のCブロックにまで成り下がってしまったのだという。

「むかしやっていた」というものほど怖いものはない。
「むかしは強肩でならしたものだ」とか、野球じゃなくても「短距離の選手だった」とか、「インターハイに行った」などの類。
 人間、身体は年齢とともに確実に老化が進んでいるのに、頭の中には華やかな時代の栄光がいつまでも蔓延っている。「まだまだ」と思いがちだし、衰えを認めたがらない。「できるはず」と思ってしまうのである。
 だから子供の運動会に出たお父さんがつんのめって手さえつくことができず、地球に顔をぶつけてしまうような現象が起こる。「どうしたんですかその傷」などと女性社員にいわれたオジサンは真夏でもマスクをして過ごさなければならないハメになる。ヘッドスライディングや飛び込み前転のようなことをして鎖骨にひびが入ってしまう、走っていて突然、脚に添え木を縛りつけられたような状態になってしまうなど、情けないこと然りである。

 その点、僕は老いを自覚している。認めたくはないが、「こういう場合は非常に危険だ。気をつけなければならない」と冷静に考えられる経験と“実績”を積んでいる。だいたい大ケガでもしたら僕のこれからの生活はどうなる。たかが遊びじゃないか。
 でもな。デッドボールを食らったらどうしよう。所詮Cクラスのピッチャーだからたいしたことはないか。いやCクラスだからノーコンということもできる。エラーしてみんなに迷惑かけたらいやだな。「負けたのはおまえのせいじゃない」とかなんとかいいながら、内心じゃ絶対みんなそう思ってるんだから。フライが飛んできて後ろに逸らすのって、あれカッコ悪いよな・・・・・・。
 二十数年ぶりの野球にあれこれ思いを巡らす。気持ちはやっぱり子供みたいだ。

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大輪の花

 ビールが飲めればそれでいい。
 そう思ってただで手に入れたチケットを握りしめ、僕は夏祭りのビアガーデン会場に一人向かったのだった。強く降った朝からの雨は上がり、午後になってそれは強烈な熱気に変わって体に纏わりついた。
 ビールを飲むにはちょうどいいや、と都合よく考え、七夕飾りで彩られた商店街を歩く。普段は開いているのかさえはっきりしない商店街も、この期間だけは少しだけ活気づいて見える。道行く人はうちわを扇ぎ、あでやかな浴衣を纏って歩く女の子たちはにこにこと笑っている。

 受付を済ませると若い女性が二人、すでにビールを飲み、バーベキューを楽しんでいる姿が真っ先に目についた。一人の女性は短いパンツをはいていて、健康的な「ナマアシ」を惜しげもなく「披露」していた。おっぱいが見えそうになるほど大きく胸があいたシャツとあいまって、僕の心にドカンと花火が打ち上がった思いだった。
 システムは知らなかったけれど、どうやらチケットによって座る場所が決められているらしかった。そしてなんと、僕が座るべき場所はその女性たちと一緒の席だったのだ。
 連発花火。ドンドンドン♪
 それはナイヤガラのようにきらびやかな余韻をいつまでも僕の心に残す。

 酔ったふりをして声をかける。あとからもう一人やってきて、三人の女性たちと僕は楽しいひとときを過ごせる僥倖に恵まれたのだった。二週間はやくお盆がやってきたと思った。いいオヤジにこんなチャンスが巡ってくることは滅多にない。というか田舎には若い女性そのものがあまりいない。
 となり村からやってきたのだという。
 興味を引けるように僕もせっせと声をかけるがやっぱりオヤジはオヤジ。年代の違いに合う話もないのは自明の理だった。
 ぎこちない会話が途絶え、三人組はまた仲良くビールを飲み、肉を嚙む。女性も肉を食うときはやっぱり動物的だ。

「折爪五郎さんって今日ここに来てないですかね。イベント会場によく現れるらしいんですけど」
 その中の一人が聞いてきて鼻からビールが出そうになった。
 僕の本名ではもちろんなく、このブログのハンドルネームである「折爪五郎」と言ったのだ。
「・・・・・・、え・・・・・・、あ・・・・・・」
 いつもこのブログを読んでくれていて、おもしろいだとかファンだとか、そんなことを言ってくる。「お気に入り」登録までしてくれているということだった。僕がいままで書いたことをこと細かくおぼえていて、「うずらちゃん」などとも口にする。最近更新がなくてさびしいとか。
 脳天にヒューッという音が鳴り響き、ドカンと大きな音をともなって大輪の花が開いたような気がした。
 二尺玉発射。
 知らない、としら切ることも考えたが、自己顕示欲とスケベごころとビールの酔いが、衝動を押さえられなかった。
「それオレです」卑しいと思ったけれど言ってしまった。
 え、ウソ、キャー、みたいに盛り上がり、その後楽しく飲んだことは言うまでもない(ホントに卑しいヤツだな)。人生どこでなにがあるかわからないもんだ。

 一夜明け、現実に引き戻された僕は今晩、本物の花火を一人観に行くのだった(悲)。
 顔の浮腫がまだとれない。

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